田植え第3日目は福地Y氏の田んぼの田植えでした。運転席は東京から稲作を学びに来ているインドネシア人A氏、右は 白川町から同じく研修中のT氏、左が山ちゃんの3人です。A氏はこの後帰京、4日間本当にお疲れ様でした。中国系のA氏にはいつも中国語を教えてもらってます。彼はマレー語、中国語をはじめ何と5カ国語が話せるのです。夜7時にA氏と一緒に見た巨大イノシシは忘れられません。(イノシシは稲を全滅させる天敵です)2車線両側の車を止め、更にパッシングしても「ふん、轢けるものなら轢いてみろ、車の修理代が心配で轢けないだろ!」と舐め切った態度で悠然と横切って行ったのです。く、悔しい!!
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tatsumi (水曜日, 05 5月 2010 23:54)
Terima kasihは、「テリ(トゥリ)マカシ」と読むのでしょうか?
バリでこんな風に言われてたような…
バリもマレー語だったのかしら…
山ちゃん (木曜日, 06 5月 2010 19:31)
ありがとうございます。tatsumiさんもバリに行かれたのですね。「テレマカシー」と読むと思います。ちょっと調べてみたらインドネシアの言葉はマレー語の一方言を共通語にしたようです。世界一学習しやすい言語だそうです。「サヤ ジャパニ プタニー」で「私は日本の農民」バリにはお米の勉強に3回ほど行き一人オートバイで農村を廻っていました。海はごく一瞬しか見てません。
バリ語は確かマレー語とは別にありましたよね。バリは島の隅々まで外国人からお金を~という姿勢に閉口しましたが、インドヒンズー教とは違うバリヒンズーは、どことなく日本神道と相通じるところがあって非常に興味深かったです。神々の島と言うのは大げさではありませんね。笑いのツボも日本人とそっくりだったのが印象的です。
tatusmi (金曜日, 07 5月 2010 01:18)
ありがとうございます。
ずいぶん昔に、ケチャックダンスや影絵が見たくて、行きましたよ。
確かに、物売りの人たちのアツさには驚きましたが、
みんな片言の日本語を覚えて、必死に生きてるんだなぁと感心したりしましたね。
バリもまた行ってみたい場所の一つです。
山ちゃん (木曜日, 13 5月 2010 00:15)
アジアの国で日本語で話しかけられたらかなり警戒します。バリではあまりにも日本語で話かけられるので、もういや!と、バイクのヘルメットをかぶったまま歩きました。ヘルメット(フルフェース)で顔が見えなければ、日本人だと判断付かないし、これで日本語で話しかけられないかと思いきや、これが相も変わらず「タクシー乗らないか?」と何人にも声を掛けられます。あのねぇ、ヘルメットかぶっているということはバイクに乗っているのですが・・それよりどうして日本人と解るのだろう?5分も話せばみんな、日本に連れて行ってくれ~の大合唱・・街だけではなく田舎も同様なのが非常に特殊な島だと思います。僕の経験ではバリが一番、外国人=お金のイメージが強いです。危ない雰囲気はフィリピン、独特の危ない風が流れています。言論の自由がないので雰囲気が暗く、電力不足で街自体も暗いのは軍事政権のミャンマーと言う印象を持ちました。