茨城のホウレン草と福島の原乳から基準値を3倍以上上回る放射線物質が検出されまた。それが何を意味するのか、農産物を作る同じ農家としてこれほど辛い結果はありません。
今日は3月19日。何もなければ香港の親友ウイルソン一家を東京に迎えて楽しく過ごす予定でした。先のことは何も分からないものですね。毎日、そしてこれからもいろんなことが変化していきいます。
「東電が無策だ」とか「原発は悪だ」とか言う気持ちはこうなってしまった以上よくわかります。でも私には正面切って東電や原発や政府を一方的に非難する気にはなれません。
私は「善」で東電は「悪」・・そんな簡単な物語にすり替えられる程問題は単純ではありません。
自分は事故前の原発問題について見て見ぬフリをしてこなかったか?と胸に手を当ててみると、例えば「あいつは赤がかっている」という世間の風評を恐れ、なるべく原発なんて言う小難しい面倒な問題から目を逸らして来た自分がいます。
一部では以前から「原発は危ない!」という活動や主張は勿論あって、私も多くの命に重大な危険を及ぼすと薄々知っていながら、なんら具体的原発反対運動も署名もしたことはありませんでした。要するに何もしないで看過した訳です。命にかかわることなのに。
東電は事業責任者ですが、私や、同じように何のアクションもしてこなかった多くの人にも、今回の事故の何分の一かの道義的・社会的責任があるのではないかと思うのです。
「知らなかったのだから、どうしようもないじゃない。。」高校の時、何の問題かは忘れましたが、社会(世界史)の先生に言い訳をしたことがありました。その先生、ゆっくり「山田君、知らないということも実は罪なんですよ。」「え~っ・・知らないことすらも罪・・僕には責任はない・・」愕然としたことを覚えています。
今ならその先生の言われた意味が良く分かります。
これは何も原発に限った事ではありません。
問題は実は全てつながっている、そう思えてなりません。
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