自然と食味値と感謝と日本人

写真は稲の穂の赤ちゃん。一粒一粒がお米になります。

農民は稲に寄り添うことができても、逆立ちしたってお米の一粒も作ることはできません。ついつい作り手(人間)が目立っちゃうけれど、お米は自然の力の変化形。

 

お米には食味値と言うのがあるのをご存知でしょうか。美味しさを機械にかけて科学的に数値にするんです。消費者のためになんて言いますけど・・食味計で「うちのお米は98点」「うちは88点」などと美味さを競い合うなんていうのは私はとってもキライ。その時点で自然への感謝も農民それぞれのストーリーも吹き飛んでしまう感じがして。受験勉強の偏差値を思い出して目まいがしてきます。

 

お米は工業製品じゃない。例えば人間に対して「あなたは98点。私は88点。」なんて言わないですよね。変ですよね。とても違和感感じますよね。私にとってはお米はそんな存在です。農民が(多分売るために)食味数値で語るようになったら、農民が最も大事な感覚を売り渡していくような気がするんです。

では「この穂の赤ちゃんは何点?」数値にしていいものと、そうでないものがあるという日本人の感覚。