福地小学校が廃校になったのは2010年3月21日。当時PTAの役員だった僕らと先生たちでタイムカプセルを記念に残そうということになった。
普通のタイムカプセルは地中に埋まってお墓みたい。廃校してもみんながいつでも目にして思い出せるようにと、コンセプトとデザインを私が担当し、宙に浮き風にブランブランと揺らされる宙吊りタイムカプセルをPTAのみんなで作った。枠はみんなで運んできた鉄道の枕木。日本広しといえどこんなおもろいカプセルはそうそうない、とみんなで自負している。パッと見、核廃棄物が何かの貯蔵タンクを連想させるが中身はもちろん違う。
廃校記念会では地域の方々、卒業生、先生、元先生方など大勢が集まり、小学校についてこれからの未来について一人一人が手紙にしてタイムカプセルに収めた。あれか5年、当時集まった人達の中でも鬼籍にはいられた方も何人もいらっしゃる。たった5年だけど、小学校がなくなったことで危惧していた通り、予想通り、いやそれ以上に福地は静まり返った。
廃校前から「限界集落問題研究会」を村の有志数人と立ち上げた。
廃校を避けるには?と知恵を絞ってはみたが、結局それ以上の村人の関心も協力も得られなかった。
出る杭は打たれ、動いたら叩かれるという過度な相互監視的文化が農村には根強く残っている。村の人はいかに「自分は義理と人情に篤く、ちゃんとしているか」をよく競い合うが、問題に対しての解決思考を訓練されていない。
だから、廃校とか過疎化に対してはどうしたらいいのか分からない、どうでもいいと諦めるのは当然なのかもしれない。
仮に意見があっても言わない・言えない・言わない方が得・だったりする。
小さな地域で波風を立てることは、大げさに言えば生存権に及ぶ問題になりかねない。これは知恵だ。正確に言えば昔の世界では知恵だった。
時代に取り残されるにはちゃんと理由がある。
こうして福地に限らず日本中の村が廃れていく。
この20年間で全国で7000校が廃校になった。
もし農村を再生や変革させたいなら「よそ者、バカ者、若者」にしかできないと言われる。それは実に、誠に、正しい。
その先頭に立つなら、出る杭は打たれることを十分覚悟するか、出る杭を打とうとする人の金槌を取り返してその人を打つぐらいの心構えが必要になる。
覚悟ができさえすれば、中途半端な人は必ず圧倒される。
出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打てないとも(笑)
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