近江商人に興味を持ち近江に通うこと4回。
関連の本も何冊も読み、たどり着いた興味の先は
「近江商人と浄土真宗(阿弥陀如来信仰)の関係性」
本だけでは飽き足らず、ネットで関連の論文や
学術書、本願寺住職のブログなど手当たり次第に
ダウンロード、気づけば300ページを超えていた。
ここまで突き詰めれば本望。
近江商人の長所と限界、今後の自分の
商売スタンスがよりはっきり見えてきた。
照らし合わせる灯台のような
存在があるのはありがたい。
併せて浄土真宗をはじめ仏教についても考える
機会を得た。
歴史的経緯や時の権力側への擦り寄り、
他宗派をはじめ宗派内の権力闘争。
仏教の歴史は意外なほど争いの連続。
お陰で宗教宗派に対しては
以前にも増してかなり醒めた視点になった。
当たり前のことだけど、宗教宗派は人間が
作り出したもの。
そもそも仏教が日本に入ってきた時点で
元の仏教とは随分形を変えてしまっていて、
更に日本国内でも形を変えいろんな宗派が出現。
もう元の形が何だったのか分からないほどの
変遷は、もはや仏教から日本教と
名称を変えた方がいいのではとも思う。
もっと人々(特に若い人)の心の拠り所となる
宗教宗派に発展していくといいな。
関連の本も何冊も読み、たどり着いた興味の先は
「近江商人と浄土真宗(阿弥陀如来信仰)の関係性」
本だけでは飽き足らず、ネットで関連の論文や
学術書、本願寺住職のブログなど手当たり次第に
ダウンロード、気づけば300ページを超えていた。
ここまで突き詰めれば本望。
近江商人の長所と限界、今後の自分の
商売スタンスがよりはっきり見えてきた。
照らし合わせる灯台のような
存在があるのはありがたい。
併せて浄土真宗をはじめ仏教についても考える
機会を得た。
歴史的経緯や時の権力側への擦り寄り、
他宗派をはじめ宗派内の権力闘争。
仏教の歴史は意外なほど争いの連続。
お陰で宗教宗派に対しては
以前にも増してかなり醒めた視点になった。
当たり前のことだけど、宗教宗派は人間が
作り出したもの。
そもそも仏教が日本に入ってきた時点で
元の仏教とは随分形を変えてしまっていて、
更に日本国内でも形を変えいろんな宗派が出現。
もう元の形が何だったのか分からないほどの
変遷は、もはや仏教から日本教と
名称を変えた方がいいのではとも思う。
もっと人々(特に若い人)の心の拠り所となる
宗教宗派に発展していくといいな。