28年前の西宮

阪神大震災直後に当時勤めていた
(財)横浜YMCAから西宮YMCAに
救援スタッフとして派遣された。
私にとってはもうYMCAを辞めて農業に
進むことを決めていたので最後のご奉公の
つもりだった。

西宮YMCAを目指して1日に1000人以上の
集まってくださるボランティアの方々の
仕事の割り振りをするのが私の主な役割。
断水している地域にトラックで浄水場から
水を運んだり混乱と忙しさで、
僅かな睡眠時間は最後まで廊下の床だった。

ボランティアのみなさんの献身的な働きは
よく紹介されるけれど、
震災を利用して商売で利益を上げる人、
震災を口実に男女の出会いを目的に集まる人、
いがみ合う人、物資をここぞとがめる人、
 いいことばかりじゃなくて、マスコミでは
紹介されないような裏側もたくさん見た。

信じられない光景が目の前に拡がっていた。
食べ物がない、水が出ない、ガスが出ない。
賞味期限切れのおにぎりたった一つも
ありがたかったことは今でも忘れない。
人は食べ物なしには生きられないという
当たり前のことを強烈に教えてもらった。
「間違いない。農業の道に進もう。」
そう確信してから28年経った。

同じく北海道YMCAから派遣されてた
久村君は札幌でスポーツトレーナーの会社を
設立し、今では読売巨人軍のフロント。
仙台YMCAから派遣された木村君はその後
中学教師、テニスの大阪大会で何度も優勝し
ヨーロッパ遠征に。
私と同じく横浜YMCAから派遣された
中台さんは今では横浜YMCAの副総主事、
強烈な経験をした当時の仲間たちとは
ありがたいことに今でもつながっている。