祖父山田隆憲は熊本からここ東京藝大の
西洋画に進んだ。
当時はお金持ちしか大学に行けない時代。
ましてや遠く熊本から藝大に上京するなど
地方ではかなり裕福な家だった。
「湖畔」で有名な洋画家黒田清輝に師事。
藝大卒業後もプロ洋画家として結婚後も
上野に住み続けた。
そんな祖父のところにやはり熊本の県会議員
資産家から嫁いだ乙女おばあさん。
画家の祖父と上野での新婚生活は
どんなだったろうと想像しながら
この界隈を歩いてみた。
親戚には「祖父の跡を継いで孫のなかで
誰か一人でも東京芸大に行ってくれないか」
と言う悲願にも似た思いがあった。
私は暇さえあれば毎日絵を描くのが好きで
絵画コンクールでは必ず入賞する子供だった。
それに私の名前「正隆」は祖父「隆憲」から
一字をもらっている。
「これは隔世遺伝に間違いない!」
親戚のみんなが寄ってたかって子供の私に
芸大行きを本気で勧めていたのを思い出す。
「誰か一人くらい芸大行ってくれ」って
子供の頃からそんなプレッシャー受けてたら
そりゃ〜逆に行かないわねぇ。
プレッシャーがなかったら、ひょっとしたら
ここは行きたい大学になってたかもしれない。
西洋画に進んだ。
当時はお金持ちしか大学に行けない時代。
ましてや遠く熊本から藝大に上京するなど
地方ではかなり裕福な家だった。
「湖畔」で有名な洋画家黒田清輝に師事。
藝大卒業後もプロ洋画家として結婚後も
上野に住み続けた。
そんな祖父のところにやはり熊本の県会議員
資産家から嫁いだ乙女おばあさん。
画家の祖父と上野での新婚生活は
どんなだったろうと想像しながら
この界隈を歩いてみた。
親戚には「祖父の跡を継いで孫のなかで
誰か一人でも東京芸大に行ってくれないか」
と言う悲願にも似た思いがあった。
私は暇さえあれば毎日絵を描くのが好きで
絵画コンクールでは必ず入賞する子供だった。
それに私の名前「正隆」は祖父「隆憲」から
一字をもらっている。
「これは隔世遺伝に間違いない!」
親戚のみんなが寄ってたかって子供の私に
芸大行きを本気で勧めていたのを思い出す。
「誰か一人くらい芸大行ってくれ」って
子供の頃からそんなプレッシャー受けてたら
そりゃ〜逆に行かないわねぇ。
プレッシャーがなかったら、ひょっとしたら
ここは行きたい大学になってたかもしれない。